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(一)アン・ディ・ フロイデ


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 違うっ! こんな音ではない、こんな旋律ではない!
 城柳鉄子は思った。しかし口にすることはけっしてなかった。彼女はすでに“音楽”というものを捨てた音楽専任教師であった。
 ここは長野県は須坂市の北側に位置する蛍ケ丘小学校の音楽室。今日も子ども達の下手な歌声を聞きながら、うんざりしたやる気のない視線をピアノの鍵盤に向け淡々と伴奏を弾いていた。曲名は高野辰之作詞、岡野貞一作曲の「もみじ」二部合唱で、いま授業で教えているのは4年敬組の子ども達である。
 城柳は東京の音楽学校を卒業し教師になった今年三十六歳の独身女性である。
 幼少の頃から地元に在住していた全国的に有名なピアニストからピアノを習い、音楽学校にいた頃は国際的なピアノコンクールにも出場するほどの腕を持ち、やがて「音楽で未来を作りたい」との密かな理想を掲げたことから小学校の音楽教師になった。ところが教師になって数年後、彼女に音楽を捨てようと思わせる絶望的な出来事に遭遇したのであった。
 音楽を捨てたのに、音楽から離れられない音楽教師という境遇を呪うこともあったが、今ではすっかり辞表を提出することも諦めた。辞職したところで他にできる事もないし、地元の子ども達にピアノを教えてひっそり暮らそうかとも考えたが、同期の音楽教室を持つ先生達の話では、少子化で経営の苦しさを聞かされるばかりで、さしあたってお金がなければ生活していけない社会の仕組みを恨みながら、やむを得ず教師を続けるしかなかった。そしていつも、
 「仕方がないじゃない……」
 という口癖で自分を慰めているうち時間だけが通り過ぎた。
 ただ機械的に授業をこなすだけの、情熱のかけらもない恍惚とした彼女のその表情から、いつしか子ども達には“鉄仮面”のあだ名を付けられた。本名の“鉄子”の“鉄”から連想されたものであることはすぐに知れるが、当の彼女は気にもしない。もはやあらゆる事が彼女にとっては“どうでもよい”ことなのだ。
 鉄仮面といっても容姿が醜いわけでない。どちらかといえば美人の類で、PTAのお父さん達からは“クレオパトラ”とか“オードリー・ヘップバーン”と呼ばせるほどの美貌の持ち主であり、肩まで伸びる艶やかな黒髪からは、いつもほのかな香水の薫りを漂わせていた。端から見れば気位の高い無表情な美人である上に、無口でいつも小洒落た服装をまとってめっぽうピアノがうまく、また教師としてのスキルもベテランの域に達しているものだから、常に近寄りがたい空気を作っていることは事実で、だから彼女はいつも独りだった。
 季節は秋―――、
 十一月に行われる校内音楽会に向け、そろそろ取り組む楽曲を決めなければならない時期である。城柳はどこか憂鬱そうに伴奏を止めた。
 「ぜんぜん紅葉の情景が伝わってこない。もう一度最初から」
 再び伴奏を弾き始めたが、情景が伝わらないのはむしろ子ども達に原因があるのでなく、彼女の気持ちが氷のように冷たく固まっている感受性の問題で、おそらく国民的な大物オペラ歌手が同じ歌を彼女の目の前で歌ったとしても、今の彼女の心を動かすことなどできないだろう。

♪秋の夕日に照る山紅葉
 濃いも薄いも数ある中に―――

 こう怒られてばかりでは子ども達もやる気をなくし、男子の中にはドラ声を挙げて反発の意思を示す者まで現れて、ついには「あなたたち、やる気あるの?」と城柳は声を挙げた。シンと静まり返った音楽室に再び伴奏が流れ始め、子ども達はいやいやそうに再び歌い始めた。いつものことである。

 おお友よ!
 違うっ! こんな音ではない、こんな旋律ではない!
 もっと楽しく、もっとわくわくする―――
 満腔から、心の底から―――
 大地から湧き、天空から降ってくる、もっと心地よいものを歌おう!
 もっと、もっと―――
 喜びに充ち満ちた大歓喜を!

 職員室では音楽の授業で空き時間となった4年敬組担任の桜田愛が、スマホに表示された外国語の詩の翻訳に没頭していた。大学時代に少しだけかじったドイツ語の知識と家から持って来た独和辞典とをフル活用させながら、自分なりの言葉にしようと試みているのだ。
 彼女は今年の四月から教師になったばかりの新米で、4年生を受け持つことになってから、目まぐるしい忙しさの中で無我夢中で働いていた。学生時代に描いた理想の教師像は早くも現実の前に打ち砕かれ、一学期当初から文部科学省が打ち出す学習指導要領に基づく各教科の授業を進めることだけでキャパシティをはるかに越えていたので、子ども達一人ひとりに目を向けることも、自分のしていることに顧みる余裕もないまま、ただただ時間に追い回されるだけの毎日を送っていた。
 「こんなはずじゃなかった……」
 教師になれば、毎日大好きな子ども達と一緒に遊んで、一緒に勉強して、泣いて笑って苦楽を共有し、人間的にも一緒に成長していけるものと思い込んでいた。ところが現実は決められた期限、期日の中でこなさなければならない事柄が山ほどあり、新人なので雑務が回ってくることはあまりなかったが、特に各教科のカリキュラムなど、週刻みで新しい単元に進まなければならないから、とても一人ひとりの子どもに目を向けている心の余裕などなく、あっと言う間に単元末テストを行なったと思えば、子ども達が理解しているしていないに関わらず次に進まなければならなかった。音楽と理科については専任の教師がいたので助かっていたが、もう二学期も中盤にさしかかっているというのに、算数科に力を入れるあまり―――というよりカリキュラム通りに進めるのに固執するあまり、国語科と社会科が大幅に遅れてしまっている。いまは運動会を終えたばかりで、それに割かれた時間による遅れを取り戻そうと必死だった。
 そんな週はじめの朝、音楽の城柳先生に呼び止められて、
 「4年敬組さんは音楽会の曲、何にします?」
 と聞かれた。他の教科だけで手いっぱいの愛は、音楽のことは音楽会も含めて全て城柳先生がやってくれるものと思い込んでいたので多少面食らったが、教師になって初めて受け持ったクラスなので音楽会にも深く関わりたいのは山々だった。通常音楽会の各クラスの選曲については、クラスの現状に基づいて学級担任の意向を反映させながら、音楽教師はそこに音楽教育的要素を加味して作っていくものであったが、いかんせんそこまで頭を回す余裕がなかった愛は、
 「何かお勧めの曲ありませんか?」
 とすまなそうに聞いた。
 「あるわよ、いっぱい。特にないなら4年生向けの曲、私の方で決めましょうか?」
 その口調には「どうでもいい」といった軽薄さがあるのを感じた。
 「愛組さんは何をやるのですか?」
 4年生は敬組と愛組の二クラスあり、愛組の方は愛より七年先輩の鈴木豊先生が受け持っている。彼の性格を反映してか非常に元気の良いクラスであるが、同学年ということで何かと比較対象にされ、愛はいつも肩身の狭い思いをしている。反面、教師の要領をまったく弁えない愛にとっては非常に頼りにする先輩教師でもあり、三〇歳のジャニーズ風のちょっとカッコイイ風貌の先生なのだ。かといって恋愛感情を抱くわけでなく、というよりそんなものを抱いている余裕すらないわけだが、教師になりたてで右も左も分からない愛にとっては、事あるごとに彼の動向を気にしなければまともな学級運営などできなかった。ちなみに彼は二年ほど前に、前の学校で知り合った女性と結婚したと聞いている。
 「鈴木先生のクラスはアニメの“ワンピース”をやるそうです。張りぼてを作るって言って張り切ってますよ。好きなことを言うだけ言って、指導するのは私ですから迷惑な話ですけど」
 「ワンピースですか……」と、愛は余裕綽々の鈴木先生が羨ましい。
 「特にないなら私の方で適当に選んでおきますね」
 城柳の“適当”という言葉が愛の心に突き刺さった。
 「ちょっとお時間をいただけませんか。少し考えさせてください」
 城柳は「新米のくせに」と言いたそうに会話の間をあけた。
 「わかりました。でも早めに決めてくださいね。できれば今週中に」
 城柳はニコリともせず、淡々と伝えることだけ伝えると自分のデスクに戻ってしまったが、それ以来、音楽会で何を歌おうかと愛の頭の中はいっぱいになった。もともと複数の事を同時にこなす器用さは持ち合わせていないのだ。
 そうして昨晩布団の中で思い出したのが大学時代に関わったドイツ研究会でのサークル活動だった。別段ドイツという国に興味があったわけではないが、中学校のころ世界史の授業で、社会科の先生が第二次大戦中のドイツのホロコーストについて熱っぽく語っていたことを思い出し、そのとき知ったヒトラーという人物について知りたいと思ったのがきっかけだった。その活動の中で少しばかりかじったのがドイツ語で、就職活動で忙しい四年生の大学祭で、意味を理解し、皆で原語で歌おうと決まったのがベートーベンの第九であった。第九に用いられている詩はドイツの詩人フリードリヒ・フォン・シラーが作ったもので、そのタイトルは「An die Freude(アン・ディ・フロイデ)」、日本語訳では「歓喜の歌」とされているそれである。もちろん詩の意味を完全に理解していたかといえば甚だ疑問だが、祭の当日、仲間とステージ上で歌い終えた時、訳もなく歓喜の涙がボロボロと流れ出したのを思い出した。
 「あの涙はいったい何だったのだろう?」
 愛はもう一度シラーの詩を読み返してみようと思い、忘れ去られた本棚の奥から独和辞典を取り出したのだった。 

Freude, schöner Götterfunken,(喜びよ、麗しき火花の閃光よ)
Tochter aus Elysium,(エーリュシオンの乙女たちよ)
Wir betreten feuertrunken,(僕たちは炎に酔いしれながら)
Himmlische, dein Heiligtum!(あなたの聖地へ至ろうと思う)

Deine Zauber binden wieder,(人類の歴史が分断してきたものを)
Was die Mode streng geteilt,(あなたの不思議な法力は再び結びつける)
Alle Menschen werden Brüder,(あなたの柔らかな翼が憩う場所で)
Wo dein sanfter Flügel weilt.(すべての人々は兄弟となるのだ)

Wem der große Wurf gelungen,(大きな幸運を得た者は)
Eines Freundes Freund zu sein,(ひとりの友の友となり)
Wer ein holdes Weib errungen,(心麗しい妻を得た者は)
Mische seinen Jubel ein!(その喜びを共にしよう)

Ja, wer auch nur eine Seele(そうだ、孤独であっても)
Sein nennt auf dem Erdenrund!(己のものがこの地球上に一つでもあるなら!)
Und wer's nie gekonnt, der stehle(そして、それができないならば)
Weinend sich aus diesem Bund!(泣きながらここを立ち去るがよい)

Freude trinken alle Wesen(生きとし生けるものは)
An den Brüsten der Natur;(母なる大自然の乳房からしたたる喜びのミルクを飲み)
Alle Guten, alle Bösen(善なる者も悪なる者も)
Folgen ihrer Rosenspur.(その薔薇の花咲く道を、求めて歩く)

Küsse gab sie uns und Reben,(彼女は僕たちに口づけと葡萄酒と)
einen Freund, geprüfut im Tod;(誠の友情を与えてくれた)
Wollust ward dem Wurm gegeben,(快楽は虫けらに与えられ)
und der Cherub steht vor Gott!(そして、ケルビムは立っているのだ!)

Froh, wie seine Sonnen fliegen,(朗らかに、太陽が飛び廻るように)
Durch des Himmels prächt'gen Plan,(広い天空を駆け抜けて)

Laufet, Brüder, eure Bahn,(友よ、己の道を進め)
Freudig, wie ein Held zum Siegen.(喜びに満ちて、勝利を目指す英雄となって)

Seid umschlungen, Millionen!(抱かれよ、幾百万の友よ!)
Diesen Kuß der ganzen Welt!(そして世界中にこの接吻を与えるのだ!)

Brüder! überm Sternenzelt(友よ、星空を越えて)
Muß ein lieber Vater wohnen.(慈愛に満ちた世界に至れ)

Ihr stürzt nieder, Millionen?(それともひざまずくか?)
Ahnest du den Schöpfer, Welt?(宇宙の鼓動を感じるか?)

Such ihn überm Sternenzelt!(輝く星の彼方を探せ!)
Über Sternen muß er wohnen.(そこに大歓喜の泉はあるから)

 訳し終わるとあろうことか、愛の瞳からあの日と同じ意味不明の一筋の涙が流れ落ちていた。その様子を見て驚いたのが教頭の佐川明彦先生である。
 「桜田先生、どうかされましたか?」
 その声に我に返った愛は、「なんでもありません」と言いながら慌てて涙を拭き取った。
 ちょうどそのとき三時間目終了のチャイムが鳴った。愛は音楽室から戻って来る城柳鉄子先生を待ちかまえて、姿が見えると職員室の入り口の廊下に仔犬のように駆け寄った。
 「城柳先生、決めました! 4年敬組は第九を歌おうと思います!」
 城柳は突然何事かといった様子で桜田を見つめた。愛は続けた。
 「ほら、音楽会で歌う曲です。私のクラスはベートーベンの第九をドイツ語で歌いたいと思います!」
 次の瞬間、そこにいた者は全員自分の目を疑った。愛の言葉に驚いたのではない。あの表情を変えるはずのない鉄仮面城柳先生が、いきなり声を挙げて笑い出した光景にである。そして、
 「あなたバカ?」
 と、さらりと言った。馬鹿を自覚している愛はシュンと小さく縮こまった。
 「小学4年生にできるわけないじゃない。あなた、ベートーヴェンをバカにしてるでしょ」
 音楽を捨てたとはいえ、城柳にとってベートーヴェンは紛れもない神聖だった。それ以前に、第九というものの認識の差に雲泥の開きがあったことは否めない。愛にとってのそれは日本人年末恒例の行事のように歌われるお祭り的な歌であるのに対し、鉄子のそれは、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン交響曲第九番ニ短調作品125第4楽章であり、音楽家でありながら聴覚を失ったベートーヴェンが、それこそ苦しみ抜いた末に完成させた彼の人生最後の魂の叫びなのだ。最初から同じテーブルで議論し合える代物でない。しかし愛は喰らいついた。
 「バカになんかしてません!」
 「話にならない、出直して来て」
 腫れ物に触られた時のように激怒した城柳はそう吐き捨て、プイっとそっぽを向いて立ち去った。バカと言われた上に意味も解からず逆上された愛は、やりどころのない悔しさをぐっと抑えながら、先ほど流した涙とは真逆の意味を持つそれを、滝のようにボロボロこぼした。
 そこへやって来たのが理科専任教師の赤坂ジョニー先生だった。イギリス人の父親と日本人の母親との間に生まれたハーフ先生で、父親の遺伝子を強く引き継いだようで、見かけは金髪で青い目をしているから誰が見ても欧米人だが、育ちはゴッテゴテの長野県人で、英語はまるで苦手な背の高い二十八歳の独身男性である。今年愛が新任でこの学校に来てから密かに彼女に思いを寄せているようだが、根はシャイでありながら父親の影響だろうイギリス仕込みのジョークと騎士道精神を持ち合わせた何とも複雑な男なのである。
 「桜田先生、なぜ泣いているの? そんなに泣いたらオシッコがなくなっちゃうよ」
 愛はジョニー先生を睨みつけると、
 「なんで怒られなきゃいけないのよ!」
 と呟いて、そのまま次の授業がある4年敬組の教室へ向かった。