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(8)ローカル局の美人アナウンサー

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 「ほら見い、言わんこっちゃない!」
 とは同じ6学年担任の高橋先生。口には出さないが、心配そうな憐みの表情で城田を攻めていた。6学年の担任がデスクを並べる窓際、信組の八木先生も「大丈夫でしたか?」と、心配そうに聞いてきた。
 「ご心配をおかけしましたが、ただの擦り傷です。二、三日もすれば治るでしょう」と、城田はさほど気にする様子もなく、子供達の国語の漢字ノートに目を通していた。
 「一応、校長には十段円塔の件は話しておきましたから」と高橋が言った。城田は驚いたように、
 「で、校長先生はなんて?」
 「暫く様子を見ましょう―――ですと」と、高橋はあきれ顔で言った。校長も高橋先生と同じ考えを示すと思っていた城田は、ほっと胸をなでおろした。
 「まあ、ピラミッドに切り替えるのでしたら、できるだけ早い判断をお願いしますよ。子供達を説得するにも時間がかかりそうですから」
 と、やがて高橋は席を立ってしまうが、そんな険悪感の残る雰囲気を感じたのが昨日、子供が帰った後の職員室での出来事だった。
 そんな空気を引き継いだまま朝を迎えたが、朝の職員会の最中、突然職員室の入り口の扉がガラリと開いたかと思うと、いかにもファッションセンスの優れた、三〇代くらいの美しい女性が姿を現した。皆、どこかで見たことがある人だな?と思っていると、
 「桜田先生はいらっしゃるかしら?」
 と、これまた高飛車な口調で、まるでパリコレのモデルのような足取りで、打ち合わせ中の職員室内に入り込んできた。ある者はすぐに分かった。彼女が『信州テレビ放送(STB)』の女性アナウンサーであることが。呼ばれた桜田愛先生はスクッと立ち上がり、
 「瑠璃ちゃんのお母さん―――」
 と口走った。そう、彼女こそ地元蛍ケ丘が生んだ唯一の有名人、周防美沙江その人だった。
 「ちょっとお話があるんですけど、よろしいかしら?」
 と、刺々しい口調で桜田の正面に寄って立つと、ガムをくちゃくちゃやりながら、桜田の頭のてっぺんからつま先までゆっくり目線を流してからじろりと両目を見つめた。桜田は蛇に睨まれた蛙のように怯えた。四月の家庭訪問の時に受けた印象とはまるで別人だったからだ。驚いたのは桜田だけでない。テレビで見かけるニュースキャスターとしての彼女は、明るく爽やかでなおかつ美しく、あわよくば天使の印象さえ与えていたからだ。職員室の空気はテレビの彼女を知る女性教諭たちの驚愕と、男性教諭たちの失望で一変していた。
 「これはこれは、どこの美人が訪れたかと思えば周防瑠璃さんのお母さん!ようこそ学校へ!」
 と、立ち上がったのはさすが烏山校長だった。
 「申し訳ありませんが今は朝の職員会議の最中ですので、十分ほど校長室でお待ちいただけませんか?終りましたらすぐに桜田先生と一緒に参りますので」
 と、赤子をあやすようにあしらうと、事務の女性職員に接待を任せて、職員会の続きを始めた。

 「いやあ、申し訳ありませんでした。朝は何かとゴタゴタしておりまして」と、桜田と一緒に校長室に戻った烏山は、ソファで足を組み、挽きたてのコーヒーを優雅に飲んでいる周防美沙江の姿をとらえた。相変わらず高慢な態度の美沙江は、
 「こちらこそ突然おしかけて申し訳ございませんでした」と社交事例のように言ったと思うと、「私も忙しくてあまり時間がありませんの」と付け加えた。
 「さて、お話とはどのようなことでしょう?」
 美沙江の向かいのソファに腰を下ろしながら、烏山は隣に桜田を座らせた。
 「桜田先生、いったいどういうことでしょう?」
 美沙江はいきなりこう言うと、まるで桜田を仇のような目で睨んだ。昨日の怪我の事だなと既に察しがついていた桜田は、
 「申し訳ございません!組体操の練習中に、瑠璃さんに怪我をさせてしまいました」と、その時の状況を詳しく説明しはじめたが、
 「それは娘から聞きました。そんなことを聞いているんじゃありませんの。どうしてくれるのか?と聞いているんですの!」
 桜田は何も答えられず黙ってしまった。
 「明日、瑠璃、雑誌の写真撮影が入っておりますの。なのにあんな顔じゃ撮影どころじゃありませんわ。仕事に穴を開けるわけにもいきませんし、かといってあんな白いガーゼをつけて撮るわけにもいきません。いいですか?モデルは顔が命なんです!」
 「それじゃお母さん、絆創膏を貼って撮影されたらいかがですか?いかにも元気な女の子らしくて、キュートでとても可愛らしいじゃありませんか」
 様々な場面で機智にとんだ機転を利かす烏山校長だが、たまに口を滑らせるのが玉に傷なのだ。
 「校長先生まで御冗談を……。いまの発言、問題にしてよろしいでしょうか?」
 途端、校長も咳払いをして黙ってしまった。
 そこへ、トントンと校長室の扉が鳴って、「失礼します!」と城田が入ってきた。
 「どなた?」と、美沙江は不審そうに見つめた。
 「私、6年愛組担任の城田兵悟といいます。実は運動会の組体操に4年生から助っ人を借りようと言ったのは私でして、瑠璃さんに怪我をさせてしまったのも僕なんです。桜田先生はただ見ていただけで、ですので代わりにお話を聞こうと……。なあに心配いりませんよ、あんな傷。ツバでもつけておけば二、三日で治りますから」
 「ツバ?まあ下品ですこと!まさか、瑠璃が怪我したとき、そんな非衛生的な処置をとったんじゃないでしょうね!」
 と、この二人、根本的な価値観が違う。
 「ちょうど良かったわ、先生にもお願いがありましてよ」
 城田は神妙な顔つきで近くのパイプイスを広げて桜田の隣に座った。
 「なんでも十段円塔に挑戦なさるそうですね」
 城田はその形相から「うちの子にそんな危険な真似をさせるわけにはいきません!」という断りの言葉を覚悟した。美沙江は話を続けた。
 「それで同じ桜田先生のクラスの紅矢希さん?彼女が一番上をやるとかで。間違いございませんか?」
 「はい、おっしゃる通りです」
 その言葉を確認すると、美沙江は少しためらった後、
 「どうしてうちの娘が一番上ではないんでしょう?」
 と言った。城田はじめ桜田も烏山も、一瞬耳を疑った。
 「ど、どうしてと申しますと……?」
 「うちの娘、何でも一番が好きなんです。二段目じゃやりたくないと申しておりまして。親バカと思われるかも知れませんが、一番上は、やはり一番カワイイ子がやった方がいいと私も思いますのよ。いや別に紅矢希さん?が可愛くないと言っているわけではありませんの。うちの娘は東京の方のいろんな雑誌にも載っておりますし、華がある子の方が相応しいんじゃないかって。で、娘にも話したのですが、もし、一番上を任せていただけるなら、STBのプロデューサーに相談して特番を組んでもらおうかって。瑠璃が申しますには、それで怪我のことも水に流すと言っておりますの。いかがでしょう?」
 そう言われてもすぐに返答などできなかった。美沙江にとってはSTBという後ろ盾が切り札で、蛍ケ丘小学校のテレビ報道ができれば、学校や町にとってもプラスのイメージを印象づけることができると考えていた。なによりテレビ放映は、娘の売り込みをするには最高の手段なのである。ところが学校サイドというのは、そういった商業感覚にはまったく無頓着でピンときていない。校長にしてみれば千五百人もの人を集めること自体無理だと思っていたし、桜田にしてみれば希の意見も聞かずに勝手に決めるわけにいかなかったし、また城田にしてみれば身体の小さい希が下で支えるなどできないと直感していた。ここでも根本的な価値観のズレがあったが、両者はそんなことには気づいていない。
 「お母さん、その返答はもう少し待っていただけませんか?」と校長が笑みを込めて言った。
 「なぜですの?」
 「実はまだ、十段円塔をやると決まったわけではないのです」と、校長の口調はとても穏やかだった。
 「はあア?では、うちの娘は、まだやるとも決まっていない組体操の練習をやって、怪我をしたということですか?」
 「十段円塔はやります!ただ、まだ人数が集まっていないだけで」と、すかさず城田がカバーした。
 「ただ、5、6年生だけでは人数が足りません。今、PTAや地元自治体に協力を要請しているところで、それに、技術的にも円塔の力のバランスや位置関係の問題もあります。ですのでその件はもう少し考えさせてください」と、城田は彼自身が抱えている現状をそのまま伝えた。
 「つまりまずは人数ですね」と、美沙江はようやく納得したようにコーヒーを飲んだ。
 「わかりました。私もこんな仕事をしておりますから、けっこうファンも多いんです。知り合いを当たって人数集めにご協力させていただきます」と、和解の方向が見えた。彼女が動けば千人などすぐに集まりそうに思えた。慌てた校長が「ちょっと待って……」と言うより早く、「ありがとうございます!」と城田が叫んでいた。こうして今日のところは、ひとまずモンスターは去って行く。
 烏山校長は、だんだん後へ引けなくなる不安と共に、最近すっかり忘れていた妙な好奇心を同時に覚えながら、周防美沙江の後姿を見送った。
 「城田先生、あのですね……」と彼を捕まえて何か言おうとした烏山だったが、その瞳にその昔、自分が持っていたものと同じ光を見出したとき、結局何も言えずに笑顔をつくることしかできなかった。
 「二人とも、さあ授業ですよ!」
 烏山はそう言うと、校長室から城田と桜田を送り出した。