> (7)ハプニング
(7)ハプニング

ネット小説ランキング>一般・現代文学 コミカル>大運動会
 小学校6年ともなれば異性に関心を持つもので、城田のクラス6年愛組でも、誰々が誰さんを好きだとか、誰さんが誰々を嫌いだとか、休み時間といえば特に女子の間でそんな話題に花が咲く。ちょうど給食の時間だった。当番の原田萌が、音無太一の器にだけ人一倍多くのカレーを盛りつけた。カレーはみんなの大好物なのだ。それに気付いた水島友太は、
 「お前、太一のことが好きなんだろ!」
 と茶化したのがきっかけで、赤組の応援団長を務めるほどだから、かなり気の強い萌はカッと怒って「バッカじゃないの!」と怒鳴った。改めて記しておくと、萌は日の出食堂原田の長女、友太はチェーン店クック・モットのオーナー水島の長男、いわば因縁のこの二人に、音無太一はPTA会長の次男であるから、何かしらの問題を持つ親の子が、城田のクラスに顔をそろえているわけだ。
 「音無君はカレーが好きだからたくさん盛ってあげたんじゃない!いけないの!」
 萌は父親が客にサービスする姿を小さい頃から見ていたので、配膳の際、クラスメイトの好物を多目に盛るのは当然のことのように考えていた。それにしても今日は盛りすぎた。友太に盛り付けられた量と比較しても優に3倍以上の差があった。友太はそれが気に入らなかったようで、「いけない〜!」と言った後、萌をまつりあげて「たーいーち、たーいーち!」と手を叩いて拍子をとって、他の男子を巻き込み太一コール≠フ大合唱を引き起こした。もともと友太は大金持ちの息子とあって、陰ではドラえもんのスネ夫≠ニ言われながらも、クラスの中では一目置かれた存在だったから、彼に逆らう男子などない。一方、萌に味方する女子達は悲鳴のような「やめなさいよ!」を繰り返し、その間、当の音無太一は自分の席で小さくなって顔を真っ赤に染めていた。
 「もう!あったまきた!ちょっと廊下に出なさいよ!」
 ついに萌がキレて友太を廊下に連れ出した。二人を取り巻いて愛組児童は拍手喝采の大騒ぎ。そんな場面でこっそり抜け出して、職員室の担任に報告に行く者が必ずいるもので、それはたいてい小柄な女子と、メガネをかけていそうな女子の仲良し二人組だった。殴り合いの喧嘩になる寸でのところで、
 「お前たち!なにやってんだ!」
 と担任城田が現れて、ようやく事態は収まった。こんなふうに悪い子たちではないのだが、この学級にはちょっとガサツな面があり、教師は子ども達の最大の教育環境である≠ニはよく言ったもので、逆に言えば6年愛組は城田の人格の投影だった。
 もともと萌と友太とは低学年の頃から馬が合わないという話を、今年この学校6年目になる保健の先生から聞かされていた城田は、毎年学年主任を務める担任のクラスから選出することになっていた運動会の赤組、白組の応援団長を決める際も、そのあたりを配慮したつもりなのである。つまり、赤組の応援団長に原田萌が決まり、その後、白組の応援団長選出の際すごい勢いで友太が立候補したのを見て、「こりゃ運動会が修羅場になる」と判断した城田は、比較的おとなしい音無太一に光を当てる意味も含めて、「太一君のお父さんはPTA会長をやっているから、いいところを見せてあげたらどうか?」と教師の権威を行使して決めたものだった。そうして友太は白組の副応援団長に納まるが、応援合戦の練習など見ていると、白組の方は団長よりも副応援団長の方が声が大きく、まるで「赤組応援団長は引っ込め!」と言わんばかりの激しい怒鳴り声をあげるのだ。一方赤組の萌も負けじと叫ぶが、その恨みに似た感情の矛先は、白組というより友太に向けたものであることは内情を知る者には一目瞭然だった。勇ましさだけを見るならまさに満点のパフォーマンスだが、それは教育の領域から大きく逸していた。城田はクラスが抱えるそんな問題にも頭を悩ませながら、お昼休みになると体育館へ向かった。
 実はこの日から4年生の組体操出場メンバーの四人を集めて、昼休みに練習することになっていた。城田は先日の春子の形相を思い起こしながら、「希ちゃんは来てくれるだろうか?」と心配だったが、いざ体育館に来てみれば、運動着に着替えた四人は、瑠璃を中心に桜田先生も交えて、とても良い雰囲気を作ってくれていた。城田は桜田に一礼すると、希に向かって、
 「お母さんから何か言われなかった?」
 と聞いた。すると希は不思議そうな顔をして、「いいえ、別に。何も言ってませんでした」と答えた。どうやら春子は城田に当たっただけで、娘には何も話していないようだった。それもまた不思議なことで、普通の親なら学校に来て「やめさせるように」と直談判してもおかしくないところだ。とりあえず城田は、ほっと胸をなでおろした。

 ちょうどその頃、6年敬組の高橋一郎先生が校長室の扉をノックした。
 「はい、どうぞ」と中の烏山周一校長はいつも上機嫌である。「ああ高橋先生、どうなさいました?」と、接客用のソファに招いて、コーヒーに目のない自分は、校長机の上の熱いキリマンジャロをズズッとすすって、「いやあ、実にこのキリマンジャロコーヒーというのはいいですね。アフリカの雄大なキリマンジャロの山麓に群れる、キリンやシマウマ、そしてフラミンゴたちのシルエットが目に浮かんでくるようです。あなたもいかがですか?」と、給食後の一杯のコーヒーがなによりの楽しみなのだ。
 「実は城田先生のことなんですが……」
 「城田先生がどうかしましたか?」と校長はコーヒーカップにメーカーの苦いコーヒーを注いで高橋の前に差し出すと、その向かいに「よいしょ」と腰をおろした。高橋は話を続けた。
 「運動会で取り組む5、6年種目の組体操で、十段円塔をやろうなどと言い出しまして、実は非常に困っておりまして……」
 「十段円塔……?そりゃまた大層な挑戦ですねエ」
 「いや校長、笑いごとではありません。その挑戦にどれほどの危険が伴うかお考えください。まともに立ったとしたらその高さは十数メートルに及びます。万が一落ちたりでもしたら、城田先生ひとりが責任を負うだけでは済まされません。学校の責任問題はもちろん、教育長や市にも迷惑をかけることになるでしょう。ここは校長の方から諦めるよう申していただかないと……」
 「本当に十段円塔なんてできるのですか?城田先生はともかく子ども達は何て言ってるのでしょうか?」
 「……それが、困ったことにやりたいと……」
 「ほう!」と、校長はさも嬉しそうだった。
 「でも、人数が足りないんじゃありませんか?」
 「おっしゃるとおりなんですが、なんでも城田先生は、PTAや地域の区長まで巻き込んで人数を集めると言っておりまして、もし集まりでもしたらえらいことになります」
 「いったい何人集めようとしているのですか?」
 「確か千五百数十人とか……」
 校長は愉快そうに高笑いしながら、「集まるわけがないじゃありませんか!だいたい毎年の運動会のギャラリーを見たってせいぜい二、三百人くらいじゃないですか」と言った後、「高橋先生は集まるとでもお思いですか?」と聞いた。
 「いやあ、それは……」
 実は高橋も無理だと考えている。しかし万一のことを想定した上での今日の相談なのである。校長の話は続いた。
 「ならば暫く様子を見ようじゃありませんか。せっかくその気になった子供たちのやる気≠、頭ごなしに挫くのはどうかと思います。私はね、こう思うんです。理想も大事ですが現実も大事。人生には夢が必要ですが挫折することの方が多い。それを学ぶことも教育ではないかと。でもね、何かに夢中になるってことは素晴らしいじゃありませんか!本気になって取り組んで、現実の壁にぶつかって挫折して……。大切なのはそうなったとき、どうするか?ではないですか?それを学び学ばせるのが教育≠カゃありませんかネ?生きる力≠ニはまさにそのことですよ!」
 高橋は納得しかねたが、校長にそう言われては何も答えることができなかった。

 一方、体育館の四人の4年生は、十段円塔の一番てっぺん、九段目、十段目の二段の円塔づくりの練習である。こうして代表の四人を並べてみると、明らかに希の身長が一番低く体重も軽そうで、後の三人は似たりよったりだが、瑠璃がわずかに一回り大きく見えた。事実、希の体格は早生まれということもあるのだろうが、全国の小学2年生の平均に近く、頂上の一人を演じるにはうってつけだったろう。
 城田はまず、ボール遊びに夢中の児童たちを端の方で遊ぶよう移動させると、体育館の中央に厚手のマットを二枚重ねで広げた。そして、マットの上に三人を肩を組んでしゃがみ込ませ、呼吸を合わせてそのままの態勢でゆっくり立ち上がるという練習を始めた。マットの弾力で足元が不安定な様子だったが、何回かやるうちに次第に慣れて、城田は脇で見ている希に、「いいかい?三人の肩の上に乗っかり、三人が完全に立った後、バランスをとりながらゆっくり立ち上がるんだ」という概要を説明すると、
 「じゃあ、ちょっとやってみようか?」ということになり、城田は希を抱き上げて、三人の肩の上にしゃがませた。マットの脇では桜田先生が、何度も「ガンバッテ!」と言っていた。少し不安定ではあったが、「ようし!そのままゆっくり立ってみろ」と、城田は下の三人を立ち上がらせようとした―――その時、
 案の定バランスを崩して希がマットの上に転げ落ちた。ところが、
 「いたい!」
 と言ったのは希ではなかった。気付くと瑠璃が顔をおえてうずくまっているではないか。
 「瑠璃ちゃん!だいじょうぶ!」
 と駆け寄ったのは桜田で、彼女のおさえる右手をゆっくりのけると、頬にかすかな血が滲んでいる。どうやら落ちるとき、希の裸足の足の爪が瑠璃の頬をかすったものらしい。ビックリしたのは希の方で、「瑠璃ちゃん、ごめんね!」と何度も言いながら、罪悪感から涙を流してしまった。
 こんなことがありこの日の練習は中断されて、瑠璃は保健室に連れられた。