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(6)痴情のもつれ

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 さて区長の方は、先日行うことができなかった区の三役会をやっているということで、城田はその足で公民館へ向かった。町の一大イベントである夏の盆踊り大会を終え、これが元気な町なら秋の町内大運動会の準備をはじめるところだが、蛍ケ丘の町では高齢化とともに年々参加者が減り続け、数年前に行われた運動会ではついに三人の高齢者が熱中症で倒れて救急車で運ばれた。以来その教訓をいかして運動会のようなハードな行事は一切取りやめになっていた。だからこの時季、三役が集まって打ち合わせることといえば、秋の交通安全週間の取り組みや郡市主催の会合参加の確認程度で、他にやることがあるとすれば各クラブ活動の公民館の使用状況などをチェックするくらいだった。早々に打ち合わせが終わった区長はじめ副区長、会計の三名は、公民館据え付けの小さな台所の棚から、盆踊り大会に振る舞われた一升瓶の酒の余りを出し、湯呑で一杯やりだすのが通例なのだ。「こんな役得でもなけりゃ役員なんかやってられねえよ!」とは代々の役員達の口癖であるが、なるほどやりたくもない仕事をボランティア同然で責任だけ押し付けられるのだから彼らの気持ちも分らないでない。酒さえ出てしまえば、あとは区内の世間話や愚痴の言い合いで気分よく酔っぱらうわけだが、城田が公民館に姿を見せたのは、ちょうどそんな酒飲みが始まったところだった。
 突然の来訪者に区長が「あんたも一杯やってくかい?」と言った。
 「いいえ、僕は……。実は私、蛍ケ丘小学校6学年、学年主任をやっております城田といいますが、実は折りいって皆さんにお願いがあって参りました」
 「学校の先生?はて、どんなご用件で?」と、区長は余った座布団を裏返して彼を招き入れた。
 「実は小学校の運動会のことなんですが―――」と、城田はここでも熱っぽく語り出した。何回も話していると話も分りやすく、説得力も増してくるものだ。区の三役たちは、そんな彼の情熱にほだされながら、徐々に胸を熱くしていった。
 「先生、そりゃ面白れえ!さっそくSTB(信州・テレビ・ブロードキャスティング)に連絡して、取材をしてもらいなよ!ほら、うちの美人アナ、周防さんに頼んでさア」と区長は早くも乗り気だ。
 「いいですね、それは!この寂れかけた蛍ケ丘に、スポットを当ててもらいましょうよ!」と副区長も心躍らせた様子で手を叩いた。
 「でも、肝心の子供達はどうなんだい?やる気になってんのかい?」と高鳴る心を少し抑えて区長。
 「それはもちろん!先生方よりむしろ子供達の方がやる気です!ギネスブックに載ろうなんて言う子もいまして!」
 「そうかい!町のかわいい子供達がやろうって言ってんじゃ、大人たちが反対する理由なんてなかろう。気持ちよく協力させていただきやしょう」と、区長は頼もしい男気のある科白を口にした。
 「で、十段円塔っていったら、区の方ではいったい何人集めればいいんだい?」と副区長。
 「PTAの方で二、三百人確保できそうなので、町からは残りの千数百人ほど」
 「せ、先生、ちょっと待ってくんない」
 区長に呼応するように「そうですよ」と、そこへはじめて会計が口をはさんだ。会計が言うには、この町の世帯数が約三千、そのうちの約3割が一人暮らしの老人というのが実態で、内、若い世帯はPTAとも重複しているのでそれをはぶいたらとても千人なんて集まらないと言うのである。言われてみればその通りで、城田は希望を失った。場の空気はすっかり冷静になってしまい、千五百人もの人足集めはとても無理と判断した区長は、
 「だいたい先生、学校のお願いを区にもちかけるのに、校長先生は何してんだい?ふつう校長が頭を下げに来るのが筋じゃないかい?」と、先ほど賛同した時とは正反対の態度で城田を攻めた。
 「校長にはまだ話してないもんで……」
 「そりゃあんた、出直して来た方がイイナ」
 区長は高笑いして「まあ、せっかく来たんだ、一杯飲んでいきない」と湯呑の酒を勧めたが、城田は肩を落としてそのまま公会堂を後にした。

 「あと千二百人か……」
 城田は途方もない数字に頭を抱えながら、すっかり暗くなった夜道を歩いた。その足取りは重く、公会堂から住宅街を網目のように交差する小路を使えば学校へはすぐのところを、気が付けば町の中央を横断する大通りに出ていた。そこではじめて道を間違えたことに気づき左に曲がる。すると、大通りをてくてく学校へ向かう城田の視線に、明るい「ホット・モット」の看板の光があった。腹が減っていることにようやく気付いた彼は、夕飯はまた弁当で済まそうと考えて、その光に吸い込まれるように店の入り口をくぐった。そしていつもの如く、
 「唐揚げ弁当ひとつ」
 と厨房で作業をする春子に言った。
 するとどうしたことか、城田の姿をとらえた春子は、ひどくうろたえたように注文レジの窓口に小走りに駆けよると、
 「城田先生、今日あなた、希に何を言ったの?」
 と喰いつくような強い口調で問いかけた。
 「え?何も言ってませんが」
 春子は2階の気配を気にしながら、
 「今日、希、円塔のてっぺんをやらなきゃいけなくなったって、ひどく落ち込んで学校から帰って来たの!いったい何を言ったの?」
 と、同じ言葉を繰り返した。
 「ああ、桜田先生が話してくれたんですね」
 城田は今日の自分の提案が、順調に進んでいることにほっとしたが、それとは真逆に春子は鬼のように憤った様子であった。加えて、
 「いったいどういうこと!」
 と、泣きそうな目で城田の腕を掴んで何度も揺すった。その揺すり方が尋常でない。死人を目覚めさせようとしているかのように、あるいは恋人の浮気相手を白状させるかのように、あるいは悪事を働いた我が子を戒めるかのように、激しくテーブルの上に相手の腕を叩きつけているかのようだ。そして、
 「まさか、十段円塔をやるつもりなの?」
 春子は観念したようにつぶやいた。
 「そうですよ」と、城田の声は果てしなく涼やかだった。
 「バカッ!」とでも言いたげな春子は、話し声が2階の希に聞かれてはまずいと思ったのか、突然そのまま城田の腕を引っ張って、店外の2階の窓から死角になる暗がりに連れ出して、
 「お願いだから、希を巻き込むのはやめて頂戴!」
 と小さな叫び声をあげた。その目にあふれんばかりの涙がたまっていた。これはいったいどうしたことか?その勢いに押されて、
 「春子先生……」と、城田は一瞬たじろいだが、一転、
 「やめませんよ」
 と自分を取り戻してキッパリそう答えた。春子は諦めが悪い駄々っ子のように、「お願いだから」と何度もすがっていたが、突然、城田が稲妻のように叫んだ。
 「貴方はいつまで立ち止まっているの!」
 その口調は厳しくもあり、慈愛に満ちてもいた。春子はワンと泣き出した。
 「兵悟先生に私の気持ちなんか分らないじゃない!」
 苗字でなく確かに彼女は下の名を呼んだ。そして春子は店の中に駆け込んだ。「もう二度と店に来ないで!」と言い残して。

 その一部始終を覗き見する悪意があった。クック・モットの向かい、日の出食堂の原田夫妻である。ライバル店の客の出入りがいつも気になって、こうしてたまに立地調査でもするかのように出入りの客を観察しているのだ。だからたまに城田先生が弁当を買って帰ることも知っていたし、ここ数日は毎日のようにクック・モットに入っていくのを目撃していたのである。今日も店の二階のカーテンの隙間から、原田夫妻はじっと二人の行動を見ていたが、もちろん会話の内容までは聞こえない。
 「あの二人、ひょっとしてできてんじゃねえか?」と、電気を消した部屋の中で店主の友則が言った。
 「まさかア―――城田先生に限って」と妻の良美は懐疑的だ。夫妻の視線の先に目を移せば、城田と春子は建物の陰に身をひそめて話をしているようだが、日の出食堂の2階からは丸見えなのだ。友則は言葉を続けた。
 「だってよ、城田先生うちの萌の担任だろ?それが毎日のように紅矢んとこで弁当を買って帰るなんて不自然じゃねえか。ふつう教え子の親が店やってんだから、十回に一回くらいは義理でもうちでめし食うってもんだろ。ありゃ絶対あやしい!」
 「いわれてみれば城田先生独身だしねエ。向かいの紅矢さんも一人身だものね?」
 「そうだろ―――?」
 と言っているうちに、闇の中の二人の動きが急展開する。
 「……ほれ、見ろよ。ありゃチューするぞ……、よしっ、いけっ、いけっ―――あれっ?―――あちゃあ!城田先生、紅矢を泣かしちまったぜ。―――あれは完全に痴情のもつれだナ」
 二人は面白がって、春子が店に飛び込み、城田が淋しそうに立ち去るところまでをくまなく見つめた。そして、
 「こりゃ校長の耳に入れておいた方がいいかもなあ」と友則が呟くと、
 「やめておきなよ。男女の関係なんだからほっとけば」と、良美はママさん仲間の会話を盛り上げるとっておきのイイ情報を得たことに満足していた。