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(4)女性新米教師

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 昼休みの職員室といえば、様々な業者の人間たちが、大きなカバンを持って入れ替わり立ち代わり訪れる。そのピークは先生たちが児童と一緒に給食を食べ終えた正午の四十五分ごろで、今日も真っ先に訪れたのはヤクルトのおばさんだった。
 次いでやって来たのは町内で文具専門店を営む林みつをというセールスマン。かれこれ学校創立当初から通いつめているもういい年の欲深い男で、小学校の歴史や過去の出来事から、あるいは先生方の異動の情報などは学校長の烏山周一よりはるかに詳しい。いつも黒いアタッシュケースをひっさげて、中から学力テスト用の教材や学習ドリル、あるいは理科の実験用のおもちゃや図工で使う資材など、まるで玉手箱のように取り出しては、少しでも学級費を引き出そうとうまい話を持ちかける。恐ろしいのは各学級、各学年の貯金額を正確に掌握していることで、何学期にどういう単元の何の授業が行われ、どこで情報を入手するのか、各クラスの授業の進み具合や遅れ具合まで熟知している。だから、その巧みな手口を知っているベテランの先生たちは、必要な時にしか彼を呼び止めないし、彼もまた声を掛けようとはしなかったが、桜田愛のような右も左もわからない新任教師は、林にとってうってつけの標的だった。
 「桜田先生、いいのがあるんですよ。大きな声じゃ言えませんが、昨日入ったばかりのなかなか手に入らないモノなんです。これです『太陽光でゴー!』。いままでは手づくりでモーターを作ったり、電池でいろんなものを動かしていたのが、これは太陽光で動くんですよ!しかも太陽電池の仕組まで分ってしまう!これからの子供達はね、自然エネルギーを積極的に取り入れなければいけない必然性に追い込まれていますでしょ?今度の電気の単元でぜひいかがですか?」
 そんな会話を横目に、愛組の佐藤清美先生が笑いながら通り過ぎた。
 「おいくらなの?」
 「ちょっと値がはります。ひとつ税抜き二千円。でも桜田先生のクラスですから特別に千五百円に負けときまひょ」
 「高いわね。この間、数学の教材を買ったばかりで、うちのクラス、いま余裕がないんです」
 「ではこちらはいかがです?『寝ても覚めてもシリーズ』。これはね―――」

 桜田が林につかまっている頃、視聴覚室には5、6年の担任の先生たちはが集まっていた。そして、城田を中心に運動会の組体操についての打ち合わせをしていたが、その付き合わせた表情はどれもひどく神妙だった。
 「いくらなんでも十段円塔なんて無理でしょう?」
 驚いたようにそう言ったのは5年信組の本木弘先生だった。
 「そうよ、怪我人が出たら取り返しがつかないわ」と、5年愛組の安岡花子先生が付け加える。
 「ですので周囲に厚手のマットを敷き詰めて、下は我々が万全を期して守るんです」と城田は強い口調で言うが、
 「だいたい十段円塔を立てるのに、いったい何人の人数がいるんです?」と6年敬組の高橋一郎先生。
 「昨日、ガリ先生に計算してもらいました。全員で1534人必要だそうです」
 城田の言葉に一瞬間をおいてから、一同あきれたように苦笑いをつくった。
 「ぜんぜん人数が足りませんね」とは6年信組の八木先生、続けて安岡が「実際は下に補助が必要だからそんなんじゃすまないわ」と補足する。
 「人足はPTAや区長に頼んで僕が責任を持って集めます。皆さんは成功の事だけを考えて、子ども達に指導をお願いしたいんです」
 そう言う城田の言葉には説得力がなかった。
 「校長先生には相談したのですか?」
 と、5年敬組の新田先生。三十代の慎重な性格の持ち主だ。
 「いや、まだです。どうせ反対されるに決まっていますから。まずは皆さんの賛同を得たいんです!」
 「賛同ったって……ねえ……?」と八木。続けて安岡が不思議そうに、
 「どうして円塔なの?ピラミッドならまだしも……」
 確かに疑問を持つところで、皆は城田の顔をまじまじ見つめた。その視線に困惑した城田は、
 「6年生にとっては小学校最後の運動会なんです。なにものにも代えがたい黄金の思い出を作ってあげたいんです。彼らがやがて大人になって、大きな壁に突き当たったとき、このことを思い出して勇気を出してほしいなあと……」
 と、ありきたりの返答をしたが、それを受けた高橋の言葉は厳しい。いつ教頭になってもおかしくない、五十代のベテラン教諭で、今は教務主任をやっている。
 「思いは分かりますが、教育はきれいごとだけではすみませんよ。最悪のことを想定したら、黄金の思い出どころか、開かずの部屋に押し込めておかなければならない悪夢になることだってあるからね」
 次いで女性の感性で城田の言葉に不審を抱いた安岡が、
 「それだけ?別に理由があるんじゃない?よかったら本当の気持ちを話していただけないかしら?そこまで十段円筒をやらなければならない事情を……」
 さすが女性だと城田は感心したが、
 「それは……」
 と言ったきり、口をつむんで下を向いてしまった。そして、
 「言えません……」
 と呟いた。その姿に、腫れものを触るみたいで会話が途切れた。やがてそんな無言の空気を破ったのは、少しお調子者の気を持つ本木だった。
 「ならばこうしませんか?運動会のひと月前までに、十段円塔に必要な人数を集められなかったら、申し訳ありませんが城田先生にはお諦めいただいて、十段のピラミッドの方に挑戦ということで。練習時間が取れなければどうにもなりませんから。しかしピラミッドでも難しいぞ」
 その言葉の裏には、「千五百人以上の人数を集めるなんてできっこない」という、最初から不可能だという確信があった。事実、内心誰もがそう思っていたことでる。城田に諦めさせる流れを変えまいと、すかさず「そうね、それがいいわ」と安岡が相槌を打った。本木は更に追い打ちをかけるように、
 「ひと月前といったらあと2週間しかありませんよ。これはたいへんだ」
 と皮肉を付け加えた。そんな言葉の裏の感情は、体育界系で単純な城田にもよく分かった。しかし彼は至って本気なのだ。
 「わかりました。そのかわりにひとつお願いがあります。集まる集まらないは別にして、それまでの間、体育の授業は円塔を作るという前提で練習をはじめてほしいのです」
 と真剣に訴えた。
 誰もがそんな人数は絶対集まらないと信じていた。でも真剣な城田の表情に、それを口に出すことはできなかった。こうして5、6年生の担任を説得した城田は、すかさず4年生の担任にも協力を得るため職員室へ向かった。

 文具専門店の林が職員室を出る時、出合い頭に、これまた町内のスポーツ用品専門店「島村スポーツ商会」の社長とばったり合って、立ち話をするはめになっていた。
 「林さん、景気はどうっすか?」と島村社長はご機嫌だ。彼もこの小学校の卒業生なのだ。
 「だめだめ。なかなか先生方の財布の紐も固いよ。こっちの懐が冷え切っているってことは、学級費を納めるご家庭の経済も冷え切ってるってことさ。なんとかならんものかね。で、今日は誰んとこへ?」
 「桜田先生です。なんでも運動会で白組の団長をやるそうなんで」
 途端、林の目つきが変わった。桜田は林に限らず、どうやら学校を訪問するセールスマン達の手頃なカモ≠轤オい。
 「おい、その情報、どこで仕入れた?」
 「どこでもいいじゃないすか」
 「いいこと教えてあげようか。桜田先生、まだ学級費の使い方がからっきし分ってねえ。一学期に全部使い込んでしまったようで、4年敬組はいま赤字状態だぜ。こりゃ臨時徴収しないと回っていかねえな」
 「ほんとうっすか!」
 「別の先生に当たった方がいいよ。ところで赤組の団長は誰なんだい?」
 「城田先生だって話です」
 と、そこへ城田がやってきて4年生の担任教師を集めはじめた。ひょんなことから職員室の入り口に集まる形になって、こそこそ話が文具屋とスポーツ屋の耳にも入ることとなったのだ。
 集まったのは4年敬組の桜田愛先生はじめ愛組の佐藤清美先生、それと信組の田原真彦先生と城田の四人で、城田は熱っぽく先ほどと同じ話をした。ところが4年生の方はあまり深く考える者はなく、むしろ賛同する素振りで、頂点の4人の人選を、4学年の体重の軽い者とするといった話にすぐ名が挙がり、すんなり協力体制が整った。もっとも冷静に考えれば頂点の高さは十数メートルになるはずで、そんなことを知ったらOKするはずもなかっただろうが、次の授業の時間が迫っていることもあり、みな急ぎはじめた様子で塔の高さまでは頭がまわっていなかった。
 ちなみに体重から自動的に選出されたメンバーは、頂点が4年愛組の紅矢希、その下の3人は、同じく愛組の周防瑠璃と、敬組からは木村省吾、あと信組の和田成美という顔ぶれである。大きな波乱を呼ぶことなど考えてもない桜田愛は、あのとき城田先生が「紅矢希に協力してもらうかも知れない」と言ったのはこの事だったのかと納得しながら、5時間目の学活の時間にいそいそと向かった。
 「城田先生……」
 と話しかけたのは耳をダンボにしていた文具店の林だった。既に5時間目始業のチャイムが鳴りだした。
 「十段円塔って……、来月の運動会の話ですか?」
 「やだな、聞いていたんですか?まだ校長とかには話していないからおおっぴらにはできないんですが、組体操で学校のグランドの真ん中に、デーンと十段円塔を打ち立てようって思っているんです」
 「そりゃいい!」
 と林が叫んだのは、直感的にそこに大きなお金が動く匂いがしたからだ。
 「そう思います?」と、城田は初めて現れた心からの賛同者に興奮気味である。
 「思います、思います。絶対やってください!私たちも及ばずながら何でもご協力させていただきますから!なっ!」と林は隣にいた島村の肩を叩いた。城田は感激のあまり二人の手を握り、
 「それじゃ早速だけどお願いしたいことがあるんです」と涙をためた。「どうぞどうぞ、なんなりと!」とは言ったものの、その激しい情熱のようなものに後ずさりする林と島村だった。
 「実は2週間以内に千五百人の協力者を集めなくてはなりません。皆さんの人脈で、できるだけたくさんの、できれば二、三十代の若い人を集めてもらえませんか?」
 「せ、千五百人……って……?」
 「十段円塔を組み上げるのに必要な人数です。私は授業がありますんで!」
 と城田は強力な賛同者を得た喜びを隠せない様子で、そのまま教室へ向かってしまった。