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(19)いけない恋愛

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 一方桜田愛は、仕事を終えて自宅アパートに帰り、最近は唯一の楽しみとなっている缶ビールの栓を開け、最初のひと口に至福の時間を覚える日々を送っていたが、今日はいつもより早く帰って来れたので、何をしようかとルンルン鼻歌を歌いながらテレビをつけたところが大わらわ。慌てて周防美沙江に電話をかけるが、生放送中の彼女が電話に出るわけもない。気をもみながらようやく連絡がとれたのが番組が終わって二十分後のことだった。
 「いったいどういうことですか?」
 『あ〜ら桜田先生。番組、見ていただけました?』
 愛の食ってかかるような声に対して美沙江の声は至って涼しげだ。
 「そうじゃなくて!」
 『ああ、先生のインタビューがカットされたこと?ごめんなさい、時間の都合で入らなかったのよ』
 「そうじゃなくて!」と、愛は呆れてため息を吐いた。
 「あの時の取材は素材集めだって言ってたじゃないですか!学校の許可も得てないものを、どうしてニュースにしてしまったんですか!校長先生になんて説明したらよいか―――」
 愛は勝手な取材をニュースに取り上げたこともそうだが、それより瑠璃が円塔の頂点に立つことを前提にした内容に腹を立てていた。それは城田が人数集めのために美沙江と勝手に決めたことで、愛はどうしても納得できない。しかもそのことを希に伝えられずに悶々としていた時なので、いきなりのテレビ放送を受けて、それを知った希の気持ちを考えるといたたまれないのだ。
 『ネタがなかったのよ。それに特番の宣伝にもなるでしょ』
 「テレビ局ってとこはネタがなければ何でもニュースにするんですか?」
 『そりゃそうよ。スポンサーからお金をいただいているんだから、何もやらないわけにはいかないでしょ。それより桜田先生が何に腹を立てていらっしゃるのか私には意味不明ですの。特番の依頼文書なら取材の後すぐに郵送しましたし、確かにアポなしの取材は申し訳ありませんでしたが、学校にとってはプラスじゃありませんの?』
 愛はよほど希のことを話そうかと思ったが、ついには言えず、やがて美沙江の口車に巻かれて「忙しいから」と一方的に電話を切られた。愛はやりどころのない怒りで「城田のバカ!」と口ずさむと、飲みかけのビールを口にした。

 校長の承諾を得て上機嫌の城田は無性に春子に会いたくなった。
 学校に車を置いて、希のこともあるし徒歩で考えながら行こうとホット・モットの前まで来たものの、春子には来ないでと言われているし、希にも何て話せば良いか思いつかず、入ろうか入るまいか躊躇したまま店の前をうろうろしていた。すると、
 「城田先生じゃないですか!」
 と、道路の反対側から声をかける者がいた。
 声の主は日の出食堂の店主原田友則で、萌の家庭訪問の際会っているので二人は顔見知りだった。
 「先生、弁当ばっかり食ってねえで、たまにはうちで食べていきない!」
 いきない≠ニはこの辺の方言で、いってください≠フ意味である。ほかにもせず∞やらず≠ヘする≠フ意味だったり、使い方や表現方法は様々あるが、否定しているのに肯定の意味を持つ独特な方言は、この地域の天邪鬼的な性質のあらわれかも知れない。
 原田は車が来ないのを確認すると道路を渡ってきて、「サービスするからさ!」と言って城田の手をとり、そのまま再び道路を渡って向かいの店舗に引き込んだ。
 日の出食堂の引き戸を開けると萌と弟の輝が食事中で、萌は突然の担任の訪問にびっくりした様子で、
 「あっ、カトちゃん先生……」
 と言って奥に引っ込んでしまった。どうやら担任とはいえ煙たい存在らしい。
 「なんだいカトちゃん先生って。萌、城田先生だぞ、挨拶くらいしたらどうなんだ!」
 父に言われて萌は再び姿を現すと、「こんばんは」とおどけた様子で頭を下げた。
 原田は「早く晩飯くっちまえ。宿題終わったのか?」といつもの口癖を吐くと、
 「城田先生、何にします?」
 と、ガラス扉の冷蔵庫から瓶ビールを取り出し、「はい、これサービスね」と言って、城田が座ったテーブルの上にトンと置いて栓を抜いた。
 「ああ、お酒は結構です。明日研究集会があるんで……」
 「なに言ってんだい、もう栓ぬいちまったよ。一杯くらいいいじゃないですか」
 と、コップに並々と注いだ。注がれてしまったら断るわけにもいかず、幸い車も学校に置いてきたので「じゃ、一杯だけ―――」と飲んだが最後、「遠慮しないでガンガンいってくんない」と、再び原田はビールを足した。
 「じゃあ焼きそばを頂こうかな?」
 「へい!焼きそば一丁!」
 そこへ姿を現したのが妻の良美、
 「あら、城田先生、珍しいですわねぇ。今日は向かいのお弁当は召し上がらないの?」
 と意味深な笑みを浮かべて厨房に入った。少し前、二階の窓から、暗闇の中で城田と春子が痴情で言い争いをしていたことを思い出している。店主の原田は、
 「紅矢の前をうろうろしてたんで俺が連れ込んだんだよ、なっ、先生!」
 と言った。意外にもその言葉に反応したのは娘の萌だった。
 「えっ? 先生、希ちゃんに会いに行ったの?」
 思わず城田は「おい、原田!」と声を挙げた。
 「希ちゃんって、紅矢さんとこの娘さんでしょ?4年生の?」
 良美が言った。お喋りな萌は話し出したらもう止まらない。
 「こないだ城田先生ね、体育館の外で希ちゃんのこと抱きしめていたのよ―――ぎゅうって!」
 暫くは意味が飲みこめなかった原田夫妻だが、突然二人そろって「ええっ!」と声を挙げると、目をまん丸くして城田を罪人のように見つめた。思ったことは二人とも同じである。
 せ、先生……母娘二人に手を出していたのか―――
 店内に立ち込めた異様な空気を掻き消そうと城田は、「なに言ってんだ原田、あれは違うんだ―――」
 「違わないもん。だって由美ちゃんもアッちゃんも実優ちゃんも見たもん!あれは絶対怪しい!先生、希ちゃんのこと好きなんでしょ」
 「おい、原田!いい加減にしないと先生怒るぞ!」
 「カトちゃん先生が怒った!」
 萌は逃げるように「ごちそうさま!」と言って奥に行ってしまった。
 原田夫妻は場を繕う言葉がまったく見つからず、何も聞かなかったかのように無言で焼きそばを作り始めた。
 「あれは違うんです。萌さんのやつ完全に勘違いしているんです……」
 と城田はコップのビールを一気に飲みほした。店主の原田はようやく言葉が見つかったとばかりに、再びコップにビールを注ぎながら、
 「きっとあいつなりの腹癒せですよ。組体操でほら、水島さんちの友太君の隣になったってんで、家で毎日のように愚痴ってますから。先生に言っても場所を換えてもらえないって―――、どうも気が合わないみたいなんですよね、あの二人」
 「親もでしょ」と言いながら良美がお通しを持って来た。
 「なんだかあのお宅とは深〜い因縁があるみたいですよ。私もよく知りませんけど」
 良美はそう言い残して厨房に戻っていった。
 「先生、私からもお願いします。どうか場所を換えてやってもらえませんか?」
 「お話はしかと伺いました。いまちょうど全体のバランスや力の関係を考慮しながら、並び順の微調整をしているところです。ですので、結論はもう少し待っていただけますか?」
 「お願いしますよ、先生!」と言いながら原田は再びビールを注ぎ、冷蔵庫から二本目を取り出した。
 そこへ、
 「よう則ちゃん、景気はどうだい?」
 と食堂に入って来たのが、島村スポーツ社長の島村孝道と文房具店経営で商店会長を務める林みつをの二人であった。二人は城田を見つけると、「こりゃまた城田先生!」と同じテーブルに陣取ってラーメンを注文した。話題はさっそく夕方のSTBニュースで放送された十段円塔で、「早起き野球の連中も大喜びで、もっと人数が増えそうだ」と、島村社長も林商店会長も上機嫌、「救助用のマットが必要だろう」と、早くも売り言葉を並べはじめた。価格を聞けば「数百万かなあ?」としゃあしゃあと答えて「城田先生のポケットマネーで」と下品に笑う。それでも必要なのは確かなことで、「レンタルだったらいくらかかるか調べておいてほしい」と依頼した。気付けばテーブルの上には頼んでもない料理が並び、ビールも日本酒に変わって城田は酔いが回りはじめた。
 「先生、大丈夫かい?」と林が心配すると、呂律が回らない口調で「明日は研究集会だ」と言いながらも、周りの雰囲気に飲まれてハイテンション。さすがに心配した林は、「おいタクシーを呼べ」と声をかけたが、城田が「今日は学校の宿直室で寝る!」と日本酒をコップに移して飲み始めたものだから、島村社長も調子に乗って、
 「よし、飲もう、飲もう!」と城田をあおった。
 「どうせ家に帰ったって、おいらを待ってくれる女性なんかいないんだ!」
 と、そのノリに合わせてうっかり原田が口を滑らせた。
 「なに言ってんだい城田先生、いるくせに―――」
 途端、島村も林も「誰だい?」と、ほぼ同時に原田に目を向けた。城田自身も「だあれ?」と気になって、問い詰めたところが、
 「クック・モットも紅矢春子だよ」
 と告白した。図星の城田は勢いよく立ち上がって、
 「き、君ねえ!なんてことを言うんだい!春子先生はなあ、春子先生はなあ―――おいらのマドンナなんだ……」
 と言ったと思うと、ぐたりとテーブルに頭をうなだれて、そのまま鼾をかいて眠ってしまった。
 「おい、どうするんだよ」と城田の始末に困った三人は、相談して学校まで背負って運ぶことにした。幸い明日の研究授業の最後の打ち合わせで残業をする先生方も大勢おり、城田はそっと宿直室に運ばれて寝かされた―――。

 「春子先生―――」
 城田は浅い眠りの中で夢を見ていた。いや、夢というより内容のリアリティーさからいえば回想に違いない。それは十数年前の冬、城田の住むアパートで、大悟と春子の三人で炬燵を囲み、学級経営について現状を話しながらみかんを食べていた時のこと―――。
 誰が言い出したかふと、恋愛についての話題になった。そのときすかさず春子が、
 「二人は結婚しないの?」
 と言った。
 三人の中でその話題はある意味禁句だったので、突然そんなことを言い出す春子は、もしかしたら自分の思いをはっきり伝えておこうと誘導したのかも知れない。
 「結婚かあ……まだ考えてないなあ」と大悟が言った。
 「そういうのは縁だからね……」と城田が続く。
 「好きな人はいないの?」
 更に詰め寄る春子を不思議に思いながら、「そりゃ、なあ……」と城田と大悟は顔を見合わせ苦笑した。既にそのとき三人の感情は、何も言わなくても分かり合っていた。ところが更に春子は、会話にとどめを刺すようにこう言ったのだ。
 「二人とも、私のことが好きなんでしょう?」
 城田と大悟はすっかり慌てた。どうして彼女が突然そんなことを言い出すのか、皆目見当がつかない。そしてついに大悟は、
 「そりゃ結婚するなら春子先生みたいな女性がいいなあ」
 と口走った。すかさず城田も、
 「俺だって結婚するなら春子先生がいいよ」
 と言ってしまった。すると春子はクスクスと笑い出し、
 「二人とも私が好きってことね。悪い気はしないわ」
 と、しばらくの間ずっと笑っていた。そして、
 「私だって、兵ちゃんも大ちゃんも好きよ」
 当時春子は、学校以外の場所では二人のことを兵ちゃん=国蛯ソゃん≠ニ呼んでいた。
 「ホントよ、大好き! 教師としても、男性としても―――」
 しかしそこまで話すと、急に真顔に戻ってこう言うのだった。
 「でも結婚はできない、しない方がいいと思うの―――」
 城田と大悟の二人は、言っている意味がよく解らないといったふうに春子を見つめていた。
 「だって私がどちらかと結婚したら、2人の友情は絶対崩れるから。だから私達は、それぞれ別の人を見つけて結婚するのよ。いい?約束ね―――」
 春子は悲しそうな目をしながらも、笑っていた。
 「いまの、私が生まれてはじめての告白だったのよ……」
 春子はみかんを頬張りながら「ああ、嘘だと思ってるでしょ!ホントよ」と、自分が作った空気を取り繕うように言った。そして、
 「どうして同時に出会っちゃったのかしら?」
 とぽつんとつぶやいた。城田と大悟はなんだか振られたような心境になって、なにも言わずにみかんを口に運んだ。そして彼女は最後にこう言った。
 「私達は三人のままがいい―――」
 思えばあのとき春子は、城田と大悟の2人よりずっと大人だった。