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(17)時間切れ

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 いよいよ約束の期日が訪れた。
 城田は授業に身が入らず、一日中ずっと頭を抱え込んでいた。昨日までの計算ではPTAの34名を加えても不足人数は153人。彼の人脈で協力が得られた友人も8人足らずで、どう計算してもあと145名足りない。区長の方はもう少し待ってくれと言うし、音無PTA会長との連絡もとれずじまいだった。
 放課後に行われた6年の学年会はとっくに終わっていたが、視聴覚室で行われている5年生の学年会は二日後の研究集会の打ち合わせで長引いていた。きっと研究授業におけるあらゆる場面を想定して準備を進めていると思われるが、終了後は短時間で組体操の件について、5、6年の合同学年会を行う予定だった。いわばかろうじて城田の首は皮一枚でつながっているといった状況で、それでも苦し紛れに電話をかけまくっていた。
 「城田先生、もう9時を回りましたよ。合同学年会は明日にしませんか?」
 6年敬組担任で教務主任の高橋一郎先生が他人事のように言った。隣に座る6年信組の八木先生も背伸びをしながら生欠伸をくり返す。ところが、
 「十二時までにはまだ時間がありますから!」
 と、なんとも負けず嫌いの城田なのだ。
 五年生の先生方が職員室に戻ってきたのは夜の十時を回っていた。皆疲れ切った表情で城田の周りに集まったが、「早く終わりにしてくださいね」と、安岡花子先生が心ここになしといった表情でぼやいた。
 「大丈夫ですよ、すぐに終わりますから」
 と、端から十段円塔反対の高橋先生は、協議の主導権を握ろうとそそくさと話を始めた。
 「城田先生は約束の本日までに、十段円塔の土台となる1段目、2段目、3段目を構成する目標人員1354名を集めることができなかったそうです。残念ですが時間切れとさせていただきます。というわけで、今回の十段円塔の話はなかったことになりました。これにて解散、みなさんご苦労さまでした」
 あまりにそっけない高橋先生の議事進行に、
 「ちょっと待ってください!」
 と城田が立ちあがった―――ちょうどそのとき、彼のケータイがブルルッと鳴った。
 見れば見慣れない番号で、不審に思いながらボタンを押せば、『悶巣蛇亜』坂上文一郎のドスの利いた鼻息の荒い声である。
 『師匠!やりましたぜ!この蛍の文=Aたったいま、信州中信地方一帯を治めていた松本連合の奴らを制圧いたしました!これにより我が世直し同盟須高地区『悶巣蛇亜』は、長野県の半分を統治したことになります!これもみな師匠である城田兵悟先生のおかげ。この蛍の文、頭を平にして御礼申し上げます!』
 喧嘩っ早くて気性が荒い割に、そういうところは律儀な男なのだ。
 「そりゃおめでとう」と苦笑いを浮かべながら、ふと、城田は閃いた。
 「ところで坂上君、昨日送ったメールだけど、読んでくれたかなあ?」
 『ああ十段円塔の件ですか? ご心配は無用にございます!』
 「で、その松本連合って、いったい何人くらいいるの?」
 『ざっと見て100人はおります!ああ、なるほど!こいつらにも協力させろというわけですな。了解です師匠!運動会当日はこの蛍の文、首根っこを引っ捕まえてでも連れて参りますのでお任せください!』
 なんとも話の早い男でもある。
 「あてにしていいんだね?」
 『もちろんでございます師匠!』
 城田は飛び上がりたい気持ちを抑えて「あと50人」と言いながら電話を切った。ところがその勢いを挫くように高橋先生が口調を荒げた。
 「どっちにしろ足りないのでしょう? タイムオーバーですよ。城田先生、往生際が悪いなあ」
 とそこへ今度は学校の電話がピロロロロッと鳴った。受話器を取ったのは6年信組の八木先生。
 「もしもし蛍ヶ丘小学校ですが……、はい、はい、はい? え? もう一度お願いします―――はい、はい?城田先生―――?」
 八木先生は受話器の会話口の方を押さえて「なんかお年寄りみたいなんですが、何を言っているのかよくわかりません。城田先生にご用のようですが……」と言って受話器を城田に渡す。
 「はい、お電話替わりました城田です」
 『おお、城田先生。老人会の池田伸兵衛じゃ』
 と、その嗄れ声は、先日区長の家で知り合ったあの老人だった。
 『こないだの十段円塔のことじゃが、302名集めましたぞ』
 城田は耳を疑った。「まさかあの老いぼれた老人にそんな力があるはずがない。仮に集めてくれたとしてもよぼよぼな老人集団では人数の足しとはいえ足手まといになるだけだ」と、軽くあしらって電話を切ろうとした。ところが詳しく聞けば、
 『わしゃ昔、教員をやっとったんじゃ』
 と言う。その時の教え子が何十人もおり、教え子の中には教員になった者が大勢いて、更にその教え子もいるので、協力が得られそうな者をピックアップして連絡を取ったところ、「先生たってのお願いなら」と302名が名乗りを挙げたのだと自慢げに話す。その伸兵衛さんを頂点とした会の名称を『伸兵衛会』というらしいが、今年も年1回の同窓会を開いてくれるのだとしゃがれた声で笑う。
 「ほ、本当ですか……」と城田はまさかの加勢に、緊張から解放されてガクリと椅子に腰を下ろした。そして「ありがとうございます」と電話に向かって深々と頭を下げると、起死回生の火の鳥のように叫んだ。
 「ご報告申し上げます! ご心配をおかけしております十段円塔にご協力いただく1354名についてですが、現在のところその内訳は次のようになっております!」
 城田はひとつ咳払いをした後、順に発表していった。
 STB周防アナウンサーからのご紹介……1037名
 島村スポーツ島村社長さんの早起き野球仲間から……50名
 PTAから……34名
 蛍ヶ丘小学校卒業生とその仲間たち(悶巣蛇亜のことだが)……180名
 そしてたった今連絡が入りました蛍ヶ丘老人会長池田伸兵衛様の教え子とそのまた教え子が協力して頂くことになりまして、その合計が……302名
 そして私の友人……8名
 「締めて……」と、城田は電卓を叩いた。
 「1619名!」
 城田は独りで拍手をして大喜び。
 「ここには区の方からの人員もまだ上がってきておりませんので、合わせましたら1700名近くになると思われます! 従いましてお約束どおり、十段円塔は継続して取り組むことになりましたのでよろしくお願いします!」
 「ちょっと待ちたまえ!」
 と高橋先生が意義を申し立てようとしたが、研究授業の打ち合わせですっかり疲れ切り、頭がウニのようになっていた5学年の先生達は、「決まったのなら仕方がないわ」と、あまり深く考えもせず帰り支度を始めてしまった。彼らにしてみれば研究集会のことで頭がいっぱいで、まだ先の運動会のことなど考えている余裕などまったくないのだ。高橋先生は憤って校長室の扉を叩いたが、すでに校長は帰宅した後で、「えらいことになってしまった」と鼻息を荒げたが、もうなすすべはなかった。

 翌朝、高橋先生は出勤早々校長室の扉を叩いた。
 「あら、校長先生でしたら今日は県の校長会で夕方まで戻られませんよ」
 と、事務の山際という若い女性職員が出勤の名札を裏返しながら教えた。高橋先生は愛想笑いで会釈をしたが、なんともおさまりがつかない。午後になり、予定より少し早く帰ってきた烏山校長を早々に捕まえて、その怒りを爆発させた。
 「校長、たいへんなことになってしまいました!城田先生が人数の頭数を揃えてしまいまして、やることになってしまったのですよ、十段円塔を!ここは校長権限で一言、厳重にやめるように言ってもらえないでしょうか?」
 烏山校長は、校長会での疲れを癒すようにソファに腰を下ろして、うまそうにコーヒーを飲んでいた。
 「高橋先生、いきなりなんですか―――ビックリするじゃありませんか」
 「ですので城田先生が1300人集めてしまったのです!」
 「ほお、城田先生もなかなかやりますねぇ。まあ、そんなに目くじらを立てないで、高橋先生もどうですか?コーヒーを一杯……」
 「校長!コーヒーなんか飲んでいる場合ではございません!十段円塔がどれだけ危険を孕んでいるかはご存知のはずです。そもそもあんなもの物理的に不可能なのです。世界でも、歴史的に見ても成功した例など一つもないのですから!このまま続ければ子ども達に怪我を負わせることは火を見るより明らかなのです。即刻やめさせて下さい!」
 その言葉は非常に荒っぽくはあったが、裏を返せば高橋先生の子ども達に対する愛情でもあった。烏山校長は、コーヒーをまた一口飲むと、
 「分かりました。放課後、私からやめるように彼に話しましょう。しかし、何て言えば良いでしょうかねぇ……、城田先生も子ども達も納得させることができる魔法の言葉―――高橋先生、何か知りませんか?」
 「理由など有無を言わさず危険だ≠フ一言で十分ではありませんか。学校は、親御さん達から大切な子どもをお預かりしているのです。危険なことが分かっていてやらせるなど、もはや教育の領域を逸しています。それ以外の言葉などありません!」
 「そうでしょうかねぇ……?」
 「どうかくれぐれもよろしくお願いしますヨ!」
 高橋先生は念を押し、少し安心した心持ちで校長室を出たが、それでもまだ心配だった。
 烏山校長はコーヒーカップを持ったまま立ち上がると、窓際から校庭でリズムダンスの練習をしている2年生の様子を眺めながら「ほれ、がんばれ、がんばれ」と、優しく微笑みながら呟いた。

 五、六年生の6時間目の授業は体育で、体育館での組体操の合同練習だった。
 これまで4段目の98人の肩の上に5段目の48人が乗って2段を作る練習と、6段目の24人の上に7段目の12人、その上に8段目の6人が乗って3段を作る練習とを分けて行い、なんとか目標を達成できるようになっていた。なので第二段階として、新しく5段目の48人の上に6段目の24人が乗って2段を作る練習を始めることにした。ところがそこで問題が起こった。
 「おい、グラグラすんなよ!立てねえよ!」
 と、5年生の男の子がマットの上に転落して、6年生に向って怒鳴った。と次の瞬間、
 「水島君がいけないのよ!そんなにくっつかないでよ、キモイから!」
 「なに言ってんだ!くっつかなくちゃ上の足場が作れねえじゃねえか!」
 と、原田萌と水島友太の例の二人の喧嘩がはじまった。
 「おい、なにやってんだ!」と城田が止めに入って訳を聞けば、萌と友太の呼吸が全く合わず、上に立つ5年生の足場がグラグラして立てないのだと言う。すると別の女の子が、
 「先生、水島君と音無君を入れ換えたらいいと思います」
 と提案した。
 「どうしてだ?」と聞くと、
 「原田さんは音無君とならうまくやれると思うからです」と答える。
 城田は「なるほど子どもにしか見えない人間関係もあるだろう」と思い、ひとまず換えてみることにした。ところが肩を組んで並べてみると、音無のところで段差が際立ってしまう。その上に6段目を立たせてみたが、立つには立つが、やはり萌と音無の部分に当たった5年生はアンバランスになって立ちにくそうだ。これではとても更にその上に人を立たせるのは危険でできないと思った。
 「やっぱり危ないや、元に戻そう」
 城田は嫌がる萌を説き伏せて、練習を続けさせた。
 今は単純に背丈の順に並べているだけだが、男子と女子の力の差や、バランス能力にも差があるので、少しずつ並び順の微調整が必要だなと感じながら練習を続けるしかなかった。