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小説・大運動会
> (1)稲妻と太陽
(1)稲妻と太陽
太陽は何色だ!
「赤だ!」
太陽を隠す雲は何色だ!
「白だ!」
長い夏休みが明けた。季節はこれから秋へと一気に加速する。赤と白の帽子をかぶった子どもたちが、グランドという名の悠久の大地に居並ぶと、小学校では十月に行われる年内最大のイベント『運動会』に向けて、いま練習が始まったところ───。
六年生の赤組応援団長の女の子が声をあげた。
「身体を流れる血は何色だ!」
それに呼応して一年生から六年生までの赤の帽子をかぶった集団が、
「赤だ!」
と、叫んだ。続いて白組の応援団長がちょっと自信なさそうに、
「栄養満点の牛乳は何色だ!」
「白だ!」
白い帽子をかぶった白組が、赤組に負けじと大声をはりあげた。こうして応援合戦は続く。
「燃える炎は何色だ!」 「赤だ!」
「炎を消す水は何色だ!」 「白だ!」
「長野のリンゴは何色だ!」 「赤だ!」
「リンゴの皮を剥いたら何色だ!」 「白だ!」
と、ここで朗らかで軽快な音楽が流れ始める。橋本祥路氏作詞作曲(作詞花岡恵は同人物)の『ゴーゴーゴー』という運動会の歌である。
♪フレー! フレー! 赤組!
フレッ、フレッ、赤組、ゴーゴーゴー!
ぼくらは輝く 太陽のように
燃え上がる希望
力いっぱいがんばろう!
赤、赤、赤、ゴー、ゴー、ゴー
赤、赤、赤、ゴー、ゴー、ゴー
燃えろよ燃えろ! 赤組!
♪フレー! フレー! 白組!
フレッ、フレッ、白組、ゴーゴーゴー!
ぼくらは白い稲妻だ
突き進む光の矢、雷の音轟かせ
元気いっぱいがんばろう!
ゴー、ゴー、ゴー、白、白、白
ゴー、ゴー、ゴー、白、白、白
地球を回る稲妻だ! 白組!
実はこの歌、三番は赤組と白組が同時に歌う。微妙に違う旋律が、時にハーモニーを奏で、時に輪唱となって、赤、白が見事に混在した美しくも勇ましい曲に仕上がるのである。毎年、恒例のように歌われるこの応援歌は、観戦する父兄達の心を幾度となく鼓舞してきた。
子どもたちの正面の体操台に立って、譜面台の楽譜を見ながら大きく手を振り音楽指導をするのは、音楽科専任の持田房子教諭。教師としてはベテランの独身アラフォー女性である。子どもたちが歌い終わったところで、すかさず、
「違う!違う!」
とダメ出しを始めた。
「歌い始めは“mezzo forte”!そしてゴーゴーゴーのところから“forte”になるの!そして全体のテンポは4分音符が112から120だから、このくらい……」
と手を打って速さを示し、
「はつらつと歌う!楽譜にそう書いてあるので、その通りに!では、もう一回!」
持田はそう言うと、両手を振り上げ「さん、はい!」と指揮をはじめた。が、歌い始めた途端、
「ダメダメダメ!違います!」
と両手をパンパンと叩いて歌を止めた。
「出だしは“mezzo forte”と言ったでしょ。田中さん、どういう意味?」
持田は吹奏楽部で部長を務める児童の名前を呼んだ。
「……はい、『やや 強く』です」
田中と呼ばれた6年生は少し照れながら答えた。
「そう。そしてこの曲は弱起の曲だから歌い始めが肝心なの!こう歌うんです!」
持田はそう言ったかと思うと、声楽家特有の澄んだ太い声で『ゴーゴーゴー』を歌い出した。上手いといえばその通りで、市内の音楽教師で彼女ほどの美声を持つ者はまずいない。毎年行われるサイトウ記念フェスティバルには、なにはさておき必ず第九を歌いに松本まで出かける熱心さなのだ。しかし、運動会で歌うには“非常に”がつくほど上手すぎて、これが体育館だったらまるでオペラ観賞をしているかのようだ。彼女は自分の声に酔いしれているふうに、楽譜通りの几帳面さを歌声に乗せていた。その様子を見守る他の先生達は、顔を見合わせて苦笑した。
長野県須坂市の北に位置する場所に蛍ヶ丘という町がある。大通りを挟んで北と南とに別れた、町としては比較的新しい新興住宅街で、町が興った当初は若い世帯が密集する元気な町だったが、今となっては当時からある市営住宅や県営住宅に住みついた者は老い、その二世、三世が町政を支える老若男女が混在する地域になっている。全体で2千世帯はあろうか、この町に創立四〇周年を迎えた蛍ヶ丘小学校があった。全校児童数六〇〇名程度の中規模な小学校。そこに四十名ほどの教職員が勤めていた。
その日の職員会は、運動会を控えた赤組と白組の団長を決めるのに多少の時間を割いていた。そして赤組の団長には六学年の学年主任を務める城田兵悟先生が、白組の団長には四年敬組担任の新任教師、桜田愛先生が選出された。その名前が挙がったとき、
「えっ?私……?でも、私、運動会ははじめてですし……」
桜田は躊躇して白組団長を拒んだ。
「桜田先生、なんでも経験ですよ!」
同じ四年生、愛組担任の佐藤清美先生が背中を押した。続いて赤組団長に選出された城田も「そうですよ、運動会はみんなで作り上げていくものですし、団長なんてあくまで形式なんですから」と、軽く決意を促した。烏山校長も、
「桜田先生、ここは若いパワーで受けてみてはいかがでしょう?」
と言ったものだから、桜田は曖昧に「はあ」と答えて、そのまま団長選出の議題は終わってしまった。
「ところで今日の全体練習ですがね……」
声を挙げたのは一年信組担任の山崎将雄先生だった。彼は既に定年を迎え、根っからの子ども好きが祟ってついには管理職の道を選ばなかった。一学期いっぱいで産休に入った先生の換わりに臨時で勤めはじめた超ベテランの臨時講師である。
「あの応援歌はないんじゃありませんか?」
誰もが思っていたことではあるが、あえて口に出そうとはしない、それはそれぞれの教師が持っているはずの、各人固有の教育理念に関わる領域だった。それには音楽主任の持田が閉口した。
「どういう意味でしょうか?」
「相手は子どもですよ、音楽会じゃないんだし。運動会なんだから、のびのびと元気に歌えたらそれでいいと思いますが……」
山崎は、少なくとも昔はこういった自分の教育に対する考え方を主張し議論しあう気風が学校内にあったと言わんばかりに語り始めたが、途中に来て「いまは違うの?」と急に自信をなくして、「と、思いまして……」と付け加え、尻切れトンボのように声を小さくした。
「山崎先生、それは聞き捨てなりませんわ。“子どもだから”とはどういうことでしょう。運動会とはいえこれは音楽教育の一環です。『音楽活動の基礎的な能力を培い、豊かな情操を養う』ことは指導要領の目標にもなっています。“子どもだから”こそ、その実現のために基礎知識と基礎能力を身につけなければならないのです。今の言葉を撤回してください!」
「まあ、まあ、持田先生……」
険悪なムードを抑えるように烏山校長が口を挟んだ。そして続けて、
「山崎先生、音楽のことは持田先生にお任せしようじゃありませんか?」
山崎は話し合いを荒立ててしまったことに反省しながら、小さな声で「はい」と答えた。
こうして職員会が終わり、先生達はおのおの翌日の授業の準備や、ノートパソコンを開いて書類の作成等に没頭しはじめた。桜田も夏休みの日記帳を添削しようと教室に向かうため職員室を出た。
「桜田先生!」
呼び止めたのは城田だった。
「お互い団長頑張りましょうね!赤組は負けませんよ!」
「あら、さっきは団長は形式だって言ったばかりじゃありませんか?」
「立て前ですよ。勝負は勝負です。やるからには本気で戦わないと」
体育系の大学を卒業している城田は、根っからの体育界系男子であった。男子といっても四十を越えた独身で、「昔はラグビーで花園に行った」とは、飲んだ時の彼の自慢話である。
「ところで桜田先生のクラスに紅矢希さんって子がいるでしょ?背の小さい」
「紅矢さん?彼女がなにか……?」
「もしかしたらご協力いただくことになるかも知れません」
「協力って、なにを?」
「それはまだ言えませんが、今年の運動会は大いに盛り上がりますよ!いや、一緒に盛り上げていきましょう!」
城田はそう言うと、なんだか妙に嬉しそうな素振りで先に歩いて行ってしまった。
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